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9. 日本へ

薄暗い部屋の中央に大きなベッドがあった。

そこに白い薄いショールを煽った、22、3才の端正な顔立ちの女性が眠るように横たわっていた。ショールのコントラストから女性は何も身に付けていないようだ。

急に、外で雨が降り始めた。次第に雨足は叩きつけるような強いものになっている。


今里は横たわる女性の傍に立つと、一度大きく息を吐き、女性の胸のあたりにゆっくりと手を這わせた。

と、その時、聡子の目の前にいつか施術中に見た、ホログラムのような立体像が浮かんだ。

若い男性が懇願するように女性の元にひざまずいている。

女性は赤毛で顔立ちの整った細面の美人だ。スタイルもいい。女性はその男性と同年代と思われる。

男たちが競うようにこの女性を求めている。男たちが決闘しているシーンが見える。フェンシングのようにお互いを痛めつけている。

それを女性はさも当然かのように傍観している。その顔にはうっすらとした笑みが浮かんでいるようにもみえる。


これが、そこに横たわっている女性の過去世なのか。

おそらく今里もこれと同じものを見ているのではないか、と聡子は思った。

女性は40才を過ぎたころに非業の死を遂げる。男の一人に毒殺されたのだ。美人薄命というが、男たちの恨みを買ったのか。その恨みは女性が死んでからもそのまま女性の魂にとり憑いたままだ。今、目の前に横たわる若い女性にはどこかその赤毛の女性の面影がある。


今里は男たちに何やら説得しているかのようだ。

女性に気を注ぎ込み、光のリングのようなオーラを投げかけている。女性を取り巻く気が徐々に変化している。これが気の整形ということなのか。
先ほどまで感じていたこの部屋の嫌悪感が少しずつ薄らいでいる。

女性は非の打ち所がないといっていいほどの美形だ。それでも顔の整形を望んでいるようだ。今里は、女性が整形したとして、その先どのような運命を辿るかを見ている。

それが不幸な結果になるようなことであれば、整形を薦めることはないだろう。今里は女性の来世までも見透している。

しかし、聡子のホログラムに映る女性の来世は決して幸福と呼べるものではなかった。

毒殺はされないまでも赤毛の女性と同じように薄命だ。交通事故で同乗者とともに亡くなっている。

とそこで、今里は聡子がいままで聞いたことのないような呪文を女性に投げかけた。

今里はマントラによる言魂で来世へと連なる気の整形を懸命に行っている。

今里の額から汗が吹き出していた。白の薄い衣服は背中のあたりが汗で滲んでいた。

女性はここにキレイになるためにやってきたはずだ。しかし今里が一心に願っているのは女性が幸せになること。今里は懸命にそれを願いながら気の整形を行っている。それが聡子には手にとるようにわかる。

時々、今里の身体が硬直し、施術が中断した。今里は苦しそうに眉間にシワを寄せ、身体の強張りを必死に解こうとしている。


今里は・・・神と対峙している。聡子は、交渉の意味がはっきり分かった。

今里は神と「交渉」しながら、気の整形を行っているのだ。気の整形で運が変わる。しかし、その介入が、どこまで神に許されるものなのかと。

ジリジリと神ににじり寄り、女性の望みが最大限叶えられるよう、今里は「交渉」している。しかし、過去世からこの女性が抱えてきているものがある。その業のようなものが無くならない限り、いくら都合のいい「交渉」をしてもダメなものはダメなのだ。


今里は大きくため息をつくと、施術の手を止めた。女性は、仮死状態のように眠ったままでピクリとも動かない。

「さすがに、疲れるね。もう今日はここまでにしましょう」

横にいた聡子に今里は小さく声をかけた。その言葉で聡子は我に返った。今里は死闘を終えた格闘家のように額から大粒の汗を滴らせていた。それを淑美が手慣れたふうにハンカチでぬぐった。

3人は再びもとの部屋に戻ると、ソファーにぐったりと身を沈めた。

「澤木さんもご覧になったでしょ。あの女性の過去世を・・・」

今里が絞りだすように言葉を発した。

「はい・・・もし幻覚でなければ」

「あの女性は整形を望んでいらっしゃいます。顔の造作を変えることは2階のスタッフの力で簡単にできますが、僕はその先を見ました。それであの女性が幸せになるかどうか」

ふっと、今里は一息ついた。

「僕のやっていることは、過去世から受け継いできた女性の現世の気を無理やり変えることになります。下手をすると勝手にそんなことをやるなと神様に怒られます。現世の気は来世へと繋がっていますからね。施術中に僕は時々身体を硬直させていたでしょ。あれはもうこれ以上やるなという神様からのサインなのです。もしそれ以上やったら僕は神様に身体をもっていかれていたかも知れません。気功家は短命な人が多いでしょ。あれは、神の意に反したことをやっているからです」

「・・・」

「いつか聡子さんにお話ししましたね。僕が若い頃、気功で病気治しをしていたこと。病気の人がどんどん良くなっていって、自分にはすごい力があるんだと過信するようになったという話。ところがね、ある日、なぜか身体が痙攣して全くそれができなくなってしまいました。本当に死ぬような苦しみでした。人助けのためにやっているのに、なぜこんな目にあわなきゃいけないんだと神を恨んだものです・・・それで、どうしても踏み越えることが出来ない領域といいますか、人間が勝手に踏み込んではいけない領域があるんだ、ということが分かりました。人それぞれ病気になるのは原因があってね。それを気づかせるために神様が病気という反省の機会を与えていたわけです。それを僕がそんな貴重な機会を奪って勝手に病気直しをしていたわけですから、神様は怒りますよね。本来、病気というのは本人が病気になった原因を顧みて、自らの力で癒していくものですから・・・ただ、そうはいっても、世の中には難病で長い間苦しんでいる方もたくさんいます・・・ですから、僕は神様にお願いをするようにしたのです」

「それが・・・交渉ですか」

聡子はおずおずと聞いてみた。

「・・・交渉。交渉というほどのものではありません。ただのお願いです。神様にお願いしているだけです。まあ、僕も必死ですから、周りからみると神と交渉でもしてるかのように見えるかもしれませんね」

「みんなここを交渉の部屋と呼んでいます」と淑美がいうと、「軟禁状態だって・・・」と聡子が付け加えた。

「あはは、中々神様に聞き入れてもらえません。何日もお願いすることもありますから滞在が長くなることもあります。僕は気功家から美容家へと転身しましたが、やっていることは同じです。病気治しもキレイになることも、目的は同じです。幸せになるということです。肉体を整形すると気も変わります。それで幸せな結果になるように神様にひたすらお願いしているだけです」


         ☆☆☆


聡子が今里のサロンに来て3年の歳月が流れた。3年目に入ると、聡子は2階で脱毛の施術を徹底的に学んだ。もちろん、今里に必要とされれば「交渉」にも立ち会った。

脱毛の施術ではさまざまなことが分かった。体毛は血液が変化したものだ。そこには、日々何を食べ、どのようなストレスを受け、将来どのような疾病にかかるか、さまざまな情報が集約されていた。

人間の身体には全身で500万本もの体毛が生えている。確かに体毛は、肌をむき出しにしていた原始時代には身体の保護や体温調節といった役割があった。しかし、衣服をまとうようになった現代にあっては、見た目を気にする女性たちにとってはただのムダ毛であり、煩わしいと感じる以外の何物でもなくなっている。

体毛除去の施術で、聡子は今里の施術を応用した。言魂を使い、気を整え、女性たちの幸せを願った。


そしてさらに2年の歳月が流れた。

もはや「交渉」においてはサロンで聡子の右に出る者はいなかった。海外からの要人の施術も聡子が今里に代わって行うことが多くなった。


その日は、これまで感じたことがないほど身体が重苦しかった。

1回施術するたびにエネルギーを相当消耗する。邪気のようなもので身動きがとれないこともある。が、それらとは違う何かに身体が乗っ取られてしまったような感じだった。

本館のロビーでスタッフが総出でTVの前に釘付けになっていた。TVからジャパン、という言葉が聞こえてきた。

聡子に気づいた淑美が「サトコ、大変」といって声をかけてきた。

TVにはM9.2の大地震と津波で甚大な被害を受けた日本の東北地方の無残な姿が映し出されていた。

黒々とした濁流が車や家屋を容赦なく呑み込んでいる。津波は内陸深くまで侵食し、人々が逃げ惑っていた。

日本が大変なことになっている。聡子は凍りついた。スマトラ島沖地震による津波も大規模なものだったが、それをはるかに超えている。連日、TVは日本の地震による被害状況を報道した。翌日には、福島の原子力発電所が水素爆発で崩壊したとアナウンサーがヒステリックに叫んだ。

「どうなっているの。今、日本は」

聡子は友人の泉田香花にメールで聞いてみた。

「もう大変、海外へ避難している人もいるわ」

聡子は神戸の大震災を大学生の頃に経験している。倒壊したビルや家屋の瓦礫で圧死した人々を知っている。

東北の被災者の苦しみが身体に乗り移ったかのようで夜ごと眠れなかった。深い海の中で溺れる夢を何度もみた。

「しばらく日本に行ってきたいと思います・・」

思いあまって、聡子は今里に願い出た。今里に止められたとしても日本に一時帰国したいと思った。もちろん、今里にはそれを止める理由などなかった。


         ☆☆☆


聡子は日本へ向かう機内で今里と別れ際に交わした会話を思い返していた。

「澤木さん、あなたの力は天からの借り物です。あなたのその力でエステのお店はきっと繁盛するでしょう。でもそれであなたは有頂天になって、自分の力を過信するようになると、その力は無くなります。ですから、お店には長くはいないほうがいいでしょう。それから、何か、このことを常に思い出すようなものを身につけておくといいかも知れません」

「・・・私がエステティシャンを目指したのは、中学生だった娘が亡くなったからです。娘の遺品の中に、娘がとても気に入っていた白いリストバンドがありました。今となっては、私の大切な宝物です」

「そうですか。では、それを身につけて、お嬢さんのことを想いながら施術を行うといいでしょう。パワーも増します。ただ、くれぐれもやりすぎないようにしてください。気の整形で、強制的に相手の心を変えるようなことはしてはいけません。僕らが許されるのはあくまで気づきを与えることだけです。あなたの力で、日本の女性たちを幸せにしてください」


5年ぶりに日本に帰国した聡子は、滋賀の兄の家に一時身を寄せた。

帰国して3日後、聡子は六甲に出かけ、一人娘の美菜の眠る墓地に赴いた。

4月の心地良い日の光が墓地のそこかしこに落ちていた。聡子は墓前で両手を合わせ、深く首を垂れ、美菜に詫びた。

( 美菜ちゃん、おかあさんね、シンガポールに行って、そこで、一生懸命エステティシャンの勉強をしてきたの・・・ほんとに、おかあさん、あなたのこと、ちっとも分かっていなかった・・・ )

生前の美菜の姿が瞼の裏に浮かんだ。なぜ、美菜が自殺したのか、美菜の心情が手に取るようにわかった。

( ・・・あなたがどんなことで悩んでいたのか、少しも理解しようとしなかった・・・本当にごめんなさい・・・どうか、おかあさんを許してね・・・ )

聡子はうなだれたまま、瞼の裏ににじんだ美菜に許しを乞うた。


聡子は、地元でエステティシャンとしての働き口を探した。シンガポールでは、聡子は今里のサロンに足しげく通う要人から、「どうしてもサトコに」と指名される存在になっていた。世界的なミスコンに出場するモデル達からも「今里に代わる」エステティシャンとして最も信頼を寄せられていた。

しかし、そんなシンガポールでの聡子の評判を、日本では誰一人として知る者はいなかった。40過ぎの、海外でエステの施術をやっていた、どこか陰のある風変りなエステティシャン。人当たりが良いわけでもない。そんな印象の聡子に、中々職は見つからなかった。といって、シンガポールでの実績をひけらかすつもりは聡子には毛頭なかった。むしろあえてそのことは封印するかのように押し隠した。


1カ月ほど経った頃、兄のつてでサロンの職が見つかった。それがたとえどんな小さな店でも、聡子は選り好みをする気はなかった。

聡子は澤木を旧姓の松城に戻し、聡子という名も、今里が改名してくれた「縒斗子」に変えた。

( 美菜には何もしてあげられなかったけど、美菜のように悩んでいる子たちを幸せにする・・・ )

聡子は美菜の愛用していた白いリストバンドを左手にはめ、心に誓った。

松城縒斗子、41歳。日本で最初の仕事場となるエステへと向かった。




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