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2. まぼろしの脱毛士

「タキ、お前、この字が読めるか」

そういって、溝口は滝田に手帳を差し出した。

手帳の端には人の名前らしきものが記されていた。

そこには<松城縒斗子>とあった。

「マツジョウ、いや、マツシロ・・・サトコ・・、ですか。でも、ずいぶん変わった名前ですね」

滝田修二は口につけていたコーヒーカップを一旦テーブルの上に置き、高校のバスケ部の先輩で、同じエステ会社に勤める溝口健児の指さした人名らしきものをいぶかしげにみた。

「さすが、学のある奴は違うね」

「この人がどうかしたんですか」

「今度、名古屋店に配属された脱毛士なんだけどな。すこし変わった人だからというんで視察もかねて見にいったのさ」

「その人が、こういう名前なんですか」

「ああ、しかも会ってびっくり、けっこうオバさんで、どっか暗いわ、顔が平べったいわ。サトコとサダコってなんか響きが似てねえか、なあ、タキ、あはは」

溝口は松城の初印象をこれでもかと並べたて、豪快に笑った。

滝田はそれに笑顔でうなずきながら、カバンからスマホを取り出すと、す早く右手で文字打ちした。

「お前、人が話しているときにそんなもんいじってんじゃねえよ」

「けっこうなパワハラですからね。フォロワー2万人いるんで、Tweetしようかと思って」

「バカやろう、新米のくせに余計なことすんじゃねえ。減俸にすんぞ。あはは」

高卒で今年入社したばかりの滝田は、冗談でもそんなことをされた日には、溝口先輩の酔いつぶれて路上にへたり込んでいる画像をfacebookにアップしてやろうかと思った。


         ☆☆☆


滝田修二は、中学まで横浜で育った。

両親の離婚で、高校からは母親の実家のある愛知へと移り住んだ。

高校を卒業すると、大学には進まず愛知のエステ企業に就職した。そこへは高校の先輩の溝口のつてで入った。

母子家庭の滝田には大学で優雅に過ごしている余裕などなかった。ともかく早く一人立ちして、経済的な基盤を確立し、母親を安心させたかった。


滝田はアフターファイブも溝口と付き合うことが多かった。

溝口が会社のことをグチる時、必ずといっていいほど松城のことを口にした。

「なんか、やらかさなきゃいいが」、「お客さんが減るとまずいな」と松城に対し、何かと非難めいたことを口ばしった。

溝口は松城のことがとにかく気がかりだった。

まず、彼女の地味で陰気な風貌がサロンの客に好まれそうもなかった。

客足が遠退き、店の売上げが下がれば、当然溝口が上司から責め立てられる。


ときおり、溝口の不安をあおるように、松城のどこか変わった人となりも耳に入ってきた。

「あの人ね、施術のときになんかブツブツつぶやいてて、気味が悪いのよね」

たまに左手に白いリストバンドをして施術していることもあるという。

「まさか、変な宗教やってる人じゃないだろうね」

溝口の中で、心配の種は増える一方だった。


サロンでの松城の脱毛の施術は独特なものだった。

ほとんど聞き取れないような小声で何かつぶやきながら、一心不乱に施術を行っていた。まるで何かに取り憑かれたかのように行うその姿が周囲には異様に映った。

「いろんな人がいますからね」

そういって、溝口は名古屋店のスタッフをとりなすしかなかった。

しかし、なんで、あんな人をいれたんだろう、いったい上の連中は何を考えているのか、溝口は理解に苦しんだ。

ともかく自分の管轄で問題だけは起こさないで欲しい。それだけを溝口は願った。


         ☆☆☆


それから半年ほど経って、とくに名古屋店の売上げが下がるわけでもなく、むしろ逆に松城を指名する客が現れ、店は繁盛していった。

店は日毎に賑いを見せ、明らかにそれが松城の脱毛の施術の腕によるものであることを誰もが認めざるを得なくなっていった。


そしてさらに半年後、遂に名古屋店は全国85店舗の提携店舗の中でトップの売上げを示した。

多くの客がどうしても松城に施術を、と望んだ。しかし、そのためには誰もがほぼ1年以上待たなければならないような状況になっていた。

「不思議なんだよな。あの松城って人は」

夜中の1時を回った頃だった。滝田が就寝しようとしていた時、溝口から電話がかかってきた。電話口から人のざわめきが聞こえてきた。どこかで飲んだ帰りらしく、調子はずれな声だった。

「先輩は、最初から松城さんをそんなふうにいってたじゃないですか」

「そうじゃなくて・・・お前、こんな噂、聞いたことないか。この業界に、いろんな店を渡り歩いてるすご腕の脱毛士がいるって。その人はな、ものすごく店を繁盛させるらしい」

「いえ・・・」

「そうか」

「え、もしかして、じゃあ、その人が・・・」

「なんか・・・そんな気がする」

「で、もし、そうだったら・・・」

「ところがな、その人は、店が繁盛するようになると急にフッといなくなるらしいんだ」

「かっこいいじゃないですか、それって、ちょ~クールですよ」

「バカやろう。もし松城さんがその人だったら、俺が一番困るんだよ、今急にいなくなってみろ」

あれほど、冴えないだの、使えそうにないだのと松城を非難していた溝口が電話口で弱音を吐いていた。

溝口は担当店舗の売上げを伸ばした功績で、社から表彰されることになっていた。次年度の売上げの目算も意気揚々と上司にあげていた。確かに、松城がくだんのすご腕脱毛士だとしたら具合が悪い。


         ☆☆☆


松城が急に辞めるといいだしたらどうしよう。

それまで、彼女がなにか問題を起こさなければいいがという不安ばかりが溝口の頭の中を占めていた。それが一転、もし彼女がいなくなったら、どうしよう、という獏とした恐れに変わっていった。


その溝口の不安が的中する日がほどなくしてやってきた。

もはや全店舗で、名古屋店への追随を許す店舗はなく、このまま売上げトップを独走か、という時に松城が辞表を出したのだ。

もちろん、溝口は全力で止めにかかった。

彼女の噂を聞いて他社からの引き抜きがあったとしたらなんとしても阻止しなければならない。

「どっかから声がかかったんですか」

溝口は松城に聞いてみた。

「いいえ、そんなことじゃありません」

松城はきっぱりと否定した。

なんで、こんな地味なオバさんのどこに客を集める力があるんだろう。溝口の松城への印象は初めて会った時とほとんど変わっていなかった。

「上に相談して、松城さんの昇給を検討します。考え直していただけませんか」

そういって溝口は懇願したが、松城は溝口の慰留に頑として応じなかった。

「一身上の都合で」と答えるだけで、詳しいことはなにも話さなかった。

サダコだなんていったから罰があたったんだろうか。溝口は松城に対し非難めいたことばかり口ばしっていたことを後悔した。


松城が名古屋店を去るとさっと潮が引くように店から賑いがなくなっていった。

名古屋店はまた以前と同じような売上げに戻っていった。

溝口は上司から売上げを上げろと毎日のようにプレッシャーをかけられた。

そのストレスから、毎日飲み歩き、3カ月ほどで体重が10キロ近く増えていった。

その一方で、松城さんはいないんですか、という電話が名古屋店にひっきりなしにかかってきた。

中には、松城さんじゃなきゃどうしてもダメなんですという熱狂的な支持者までいた。


         ☆☆☆


滝田は、松城縒斗子という女性に一度会っておくべきだったと後悔した。

<お前、聞いたことがないか、この業界にまぼろしの脱毛士と呼ばれるすごい人がいるって>

いつか溝口から聞いた言葉が常に滝田の耳の片隅に残っていた。

やはり彼女がその人だったんだろうか。

もしかしたら、松城縒斗子という奇妙な名前も偽名なのかも知れない。


たまに、滝田は溝口に松城のことを聞いてみることがあった。

「もういなくなったんだし、どうでもいいことだ」

溝口は、その話にはもう全く関心がないといったふうで、そっけなく答えるだけだった。

「もし、かりに松城さんが伝説の脱毛士だとしたら、またどこかの店の売上げが急によくなるはずですね。そしたら、そこに松城縒斗子あり、ということですかね」

「さあね、まるで都市伝説だ」

溝口は、不機嫌な顔で、そのことにもう関わりたくないといったふうだった。




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