目の悩みに、機能性食品「ブルーベリー」誕生秘話(1)

平成3年7月から平成8年12月までの5年半、健康産業新聞社(現、インフォーマ マーケッツ ジャパン梶jに在籍し、4年ほど「健康産業新聞」の編集長として職務をはたした。その間、さまざまな健康食品を世に送り出した。考えてみれば、この"健康食品"という呼び名、全く安直に付けたものだと思う。いつからこう呼ばれるようになったのだろう。どこかいかがわしさの漂うこの呼称のせいで、優れた機能性素材の有用性も人々に正しく認識されていないのではないか、そんな思いを抱くことも少なくない。目の機能に関与するブルーベリー、本格的な市場が形成されて20年近くになる。現在参入企業も増え、安定した市場を確立している。幸いにも、消費者にその機能性が正当に評価されているのであろう。ブルーベリーの市場創成期を少し振り返ってみる。

「Health Net Media/ヘルスネットメディア」代表:浜野夏企

「今頃、遅いんだよ」、電話口から投げやりな声

「今頃、遅いんだよ」----。
電話口の声はかなり荒いものだった。当時のことを僕はそう記憶している。
平成6年7月のことだ。記事で取り上げるのが「遅い」、電話口から洩れてきたブルーベリーを扱うA社の担当者の声はどこか投げやりだった。

当時、健康関連商材の業界紙、「健康産業新聞」で編集長をしていた僕はブルーベリーを特集に選んだ。ブルーベリーは今では、視覚機能に関わる素材として広く知られ、健康食品のみならずジャムや飲料など一般食品でも人気を博している。しかし、当時は、ブルーベリーのそうした機能はほとんど知られず、目の栄養素といえば八目うなぎやビタミンAといったものしかなかった。

当時、ブルーベリーに含まれるアントシアニン配糖体が視覚機能に有意に作用することを知った僕は、高齢化時代の到来とともに将来日本でも必ず必要とされ、脚光を浴びる素材になるとにらんだ。調度その頃、ウィンドウズ95が登場し、パソコンの普及で目を酷使する人々が増えることも考えられ、ブルーベリー市場の拡大が予見された。

僕自身が「目」の障害を抱えていた

そこで、先発でブルーベリー製品を出していたA社にブルーベリー市況について電話取材をした。その時のA社の担当者の反応が先のようなものだった。A社とすれば、もっと早く取り上げ、広く世に知らしめて欲しかったという、歯がゆい思いでいたのだろう。

恥ずかしながら、それまで僕はブルーベリーの機能性については全く知らなかった。が、本当に目に良いものなら一刻も早く人々に知らせたいという思いがあった。後述するが、実は僕自身、目に障害を抱えていた。そんなこともあって、ブルーベリーの機能性にはことのほか食指が動いた。

早速、僕はブルーベリーの機能性に関する資料集めにとりかかった。企業を回り、日本での原料供給事情や商品の流通状況を調べた。そして、植物原料を供給している常磐植物化学研究所(本社:千葉県佐倉市)が当時、ブルーベリーをキロあたり15万円ほどで原料供給していることが分かった。それまではキロ価格40万円と高価で、企業はおいそれとは製品化に踏み切れなかったようだ。

欧州では、すでにアントシアニンの機能性が認知

つまり、当時はほぼA社だけがブルーベリーの市場形成で孤軍奮闘していたのだ。市場形成は、1社のみではとてもはおぼつかない。当時は、今のようにインターネットで情報が日本中に拡散していくような状況ではなかった。広く一般にブルーベリーの良さを知らしめるには、多くの企業がブルーベリー製品を開発し、さまざまな媒体で宣伝活動を行う必要があった。

僕はブルーベリーに関する資料を徹底的に集めた。そして、イタリアやフランスではすでに60年代から視覚機能への作用が知られ、眼科領域の機能性原料にアントシアニンが使用されていること、また米国などでも目の栄養補給食品として登場しており、フリーラジカルの消去能に優れていることを知った。

その後、それらの資料を、ブルーベリーに関心を示しそうな企業に持ち寄り、原料価格が下がったこと、将来的に伸びる素材であることを告げ、製品化を勧めた。声をかけた企業はすぐに乗り気になった。これまで目の栄養素ではビタミンAや漢方系の素材があったが、広く認知されているわけではなかった。手付かずの有望マーケットと彼らも判断した。

各健康雑誌の編集長に、ブルーベリーをアピール

平成6年8月、「健康産業新聞」(カラー・タブロイド版)にブルーベリー特集の第一弾を掲載、さらに10月、第二弾として6頁ほどの特集を組んだ。その際、僕が声をかけた10社近くの企業が広告で協賛した。そうしたハデな特集を組むと、他のメディアも必ず関心を示す。記事と引き換えに広告出稿を持ち掛けられるかもしれない。当然それもわかっていた。企業の方々には申し訳ないが、将来の先行投資としてなんとかそこは乗り切って欲しかった。

前述のA社だけでやっていた時の広告や記事だけではどうしても情報の波及が限定的なものになる。どんなに良い素材でも、日の目をみるまでに長い年月を要することになる。市場形成には日本中の全てのメディアを総動員するくらいの仕掛けが必要である。企業も1社より10社があらゆる場所、あらゆる方法でPRしたほうが消費者の認知も高まる。利益は分散するかも知れない。しかし、マーケットの揺籃期にはどうしてもそれは欠かせない。

その年の秋以降、ブルーベリーの製品化が進み、企業の広告や記事が健康雑誌などでも目につくようになっていった。といっても、商品が飛ぶように売れていたというわけではない。企業というのは性急なものだ。投資したものは一刻も早く回収したいと考えている。すぐに結果が出ないことから、「まだ売れないよ」といった半分からかいのような声をかけてくる企業もあった。

ブルーベリーは将来的に伸びると言って、多くの企業に製品化を進めたからには、僕にも責任がある。他のメディアの協力をあおぐために、僕も奔走した。『健康』、『安心』、『壮快』、『ゆほびか』、『自然と健康法』、『大丈夫』といった健康雑誌の編集長と会う機会があるたびにブルーベリーをアピールした。以前に彼らと話をしていた際、目に関する特集は評判が良いということを聞いていた。そうした中、『自然と健康法』の鴇田編集長がブルーベリーを含めた目の特集を秋号で取り上げてくれた。評判がよかったという声が聞けたのがせめてもの慰めだった。

「おもいッきりテレビ」に声掛けも、まだ認知されていないと一蹴

業界紙というのは、業界内のインフォメーションだけにとどまり、一般の人々へ情報が届くことはあまりない。僕が業界紙を離れたのもそうしたフラストレーションが鬱積していたからだ。

一般誌の情報は、良くも悪くもダイレクトに消費者に届く。もっと言えば、影響力が強いのはやはりTVだ。中でも、当時みのもんた氏司会の「おもいッきりテレビ」は反響が大きく、健康産業界の隆盛はそうしたTV番組の宣伝力に依拠しているところがあった。

やはり本丸の「おもいッきり」を攻略するしかない。その年の冬だったと思う。僕は麹町の日本TVを訪れ、「おもいッきり」の担当の荻島チーフプロデューサーにブルーベリーの話を持ち掛けた。実は、その2年ほど前、杜仲茶を取り上げて欲しいと、前任の上島プロデューサーに掛け合い、1年後に取り上げていただいた経緯がある。

しかし、荻島氏から返ってきたのは、「まだ一般に認知されていない。取り上げるのは早い」といった返事だった。ある程度世の中に知られている素材でないと、視聴率が上がらない、杜仲茶の時と同じような返答だった。しかし、杜仲茶は蓋を開けると大変な視聴率で、その後ダイエット茶の先駆けとして大ブームとなったのは誰もが知るところである。

ブルーベリーを広く一般に認知して欲しいがための交渉なのに、これでは埒が明かない。残念だが、時を待つしかない。帰りの道すがら、早く結果を、と望んでいる企業の担当者の顔が浮かんだ。背中を押す風がとても冷たかったのを覚えている。

本当にブルーベリーの市場形成はできるのだろうか、不安にさいなまれ、僕はしばらく落ち込んだ。
しかし、その後、もっと僕の気を滅入らせるようなことが待ち受けていた。

「日本で目の商品が売れたためしがない」と手痛い批判

その年の暮れのことだった。
「日本で目の商品なんて売れたためしがない。商品化なんてやめたほうがいい」。そんな声が僕の耳に届いた。あるダイエット企業が主催したホテルニューオータニの会合で、業界のライバル紙の編集長が僕を嘲弄するようにそう吐いた。さらに、こうも言った。「みんな、あんたにだまされたって言ってる」。

悔しくて仕方なかったが、反論のしようがなかった。確かに、まだこれといった結果が出ていない。JR四谷駅まで向かう帰りの夜道、「あんたにだまされたって言ってる」、その言葉がしばらく頭の中をうろついた。

僕の知らないところで、声を掛けた企業がみんなそんなふうに言っているのだろうか。業界紙に入社以来、これほどの屈辱を味わったこともなかった。もしブルーベリーが世に出なかったら、企業にどんな申し開きをしたらいいのだろう。どうあがいても抜けられない、袋小路に放り込まれたような気分だった。

当時、ブルーベリーを世に出すために遮二無二なっていた僕を周りはどうみていただろう。異常なまでに企業とマスコミを動かそうとしている僕の姿は編集部の人間たちに奇異に映っていたかも知れない。「たかが、健康食品」。そんなふうに考える記者も社内にはいた。

しかしどう見られようと、僕には、ブルーベリーをどうしても世に送り出さなければならない理由があった。

僕自身が「飛蚊症」という目の疾患をかかえていた。目を患っている人達の痛みが少なからず分かった。