適切な食品と運動により、自分の身体は自分で守る
〜21世紀版「ヒポクラテスの誓い」

年々膨れ上がる国民医療費、さらに高齢化時代の到来により、医療経済の破綻が深刻化しつつある。病気を未然に防ぐために未病思想を提唱する(財)博慈会 老人病研究所所長の福生吉裕氏は、21世紀版「ヒポクラテスの誓い」を掲げ、未病のために必要な心得を説く。

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○「ヒポクラテスの誓い」、医師の心のささえに

ヒポクラテスの名前を聞くと医師なら誰でも、背筋がピンとなるはずです。それは医学部入学時、国家試験合格時、そして医師免許を手にする時この「ヒポクラテスの誓い」と向かい合うからです。
この「ヒポクラテスの誓い」は医師としての自分を見いだし、確立し、そして責任を果そうとする時の大きな心のささえとなっているからです。

そのヒポクラテスの肖像は医学校のシンボルになったり、銅像として多くの校舎に建てられています。これ程にまでにヒポクラテスの名は日本の医学界に深く浸透しております。
何故でしょうか。それは明治以降、脱亜入欧の下に日本の医学界が西洋医学を中心として医学教育・医療制度に取り入れた歴史的な経過があるからです。その西洋医学の開祖として、医学の父と尊敬されているのがヒポクラテスです。

さて、時代は移り医学も医療も大きく変わりました。臓器移植、遺伝子治療、ゲノムの時代です。ここでもう一度、ヒポクラテスの誓いを見直し、すこしプラスして21世紀風の誓いをたててみたいと思います。

○ヒポクラテスから西洋医学の流れ

ヒポクラテスはBC460年頃にエーゲ海のコス島に生まれました。父はヘラクレイデスという医者であったと記されております。
このコス島はアスクレピオスの大きい神殿があり、若いヒポクラテスはここでコス派の医術を学び、その後ギリシャ国内 を巡歴し、さらに遠くエイジプトの北部まで足をのばし、豊かな医学経験を身につけております。
晩年は、この地に戻り若い医師を指導し80歳ぐらいで没したとされております。当時としてはかなりの長寿者であったことは確かです。

さて、ヒポクラテスの偉さは、健康と病気を自然の現象として科学的に観察し、医術を呪術からひき離したことであり、「病人は決して神の罰をうけた罪人ではない。罪人こそ一種の病人である」と彼の弟子達に教えたことでもあります。今では当たり前の事ですが当時はこのことを明言するにはかなりの勇気が入ったはずです。

また病気は一種ではなくいろいろの種類があることを説き、「われわれの体には元々健康に戻そうとする自然の力Physisがあり、医者はそれを助けるのが任務である」と今で言う免疫の概念に近いことも述べております。
さらに、私達の身体は四種の体液、すなわち血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁からなり、病気はこの体液の量的な釣り合いが乱れる事で発症すると教えております。それが下図に示す、四つの体液説です。

○ヒポクラテスの提唱した四つの体液説

「人間の生体組織において共に作用している体液の適正でない混合のなかに、あらゆる病気の本質を探究」し、「正常な有機体において体液はある一定の比率を保っていなければならず、病んだ肉体においては、体液にこの混合比率からのずれが生じる」ここで気がつくのはヒポクラテスの言う四つの基本要素は東洋医学の陰陽五行説とかなり似た所があります。身体の構成要素と自然界の不調和が病気の発症と考えている点です。

紀元前にギリシャと中国で同じ様な考えが自然同時発生したことは興味深いことです。ヒポクラテスのこの四つの体液説はその後3世紀の医学者ガレノスによってさらに体液病理学として集大成されました。
そしてこの説は西洋医学を支配し15世紀まで続きました。東洋医学と西洋医学の大きな分れ目はどうもこの15世紀を境にしているように見えます。

それは15世紀になってこの四つの体液説がパラケルススによって否定されたからです。パラケルススは人体を構成するものを化学物質としてとらえ、身体を構成するものとして、硫黄、水銀、塩の3つを挙げ、次にこれらを動かして生命現象を作り上げる力をアルケウスと名付けたのです。
アルケウスとはたとえば胃であれば食物の中から有用なものを無用のものから分離して、同化するもの、肺のアルケウスは空気を一種の栄養物として吸収するものと考えております。独創的であります。これはまさしく「気」の概念ではないでしょうか。

【ヒポクラテスの誓い・原文:小川鼎三訳】

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

  • この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。
  • その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
  • 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
  • 頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
  • 純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
  • 結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
  • いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。
  • 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
  • この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。

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. このパラケルススの発想が余りにも独創的であったのか、これに触発され対抗するかのように西洋科学文明が一挙に華開きました。ルネッサンスです。

そして、18世紀にはモルガニーの病理解剖学、さらに19世紀にはロキタンスキーの病理学的解剖学がでて医学を唯物論が席巻しだしました。続いてウイルヒョウの細菌病理学が登場し、20世紀にはDNAの発見、そして21世紀にはゲノムの解析へと続きます。

少し脱線しましたが、この様に西洋医学自体においては変遷と大きな進歩が認められますが、医者と患者との関係はヒポクラテスの時代とその後余り変わりがないように思えます。ヒポクラテスの時代にその関係を明確にしたのが先に述べた「ヒポクラテスの誓い」です。日本では縄文時代の事です。

○「ヒポクラテスの誓い」の残された問題

「ヒポクラテスの誓い」は医師の論理として初めて成文化されたものなのです。患者のために精いっぱい尽くす、患者の秘密を守る、差別しない、生命を尊主するなど、紀元前に作られたこの誓いの偉大さが分かります。医師が免許を受ける時この誓いを読む意味がお分かりかと思います。

しかしお気づきの方もおられると思いますがこの誓いは医師が神に誓ったものであり、患者への誓いではありません。またこの誓いの中には医師の世界の閉鎖性や、中絶に対する現在との認識の違い、患者側から見た死ぬ権利はどうなんだという残された問題があります。

○21世紀の医療は生活者主体の参加型医療

さて、21世紀。臓器移植、性同一性障害、人工授精卵移植、クローン人間、末期医療など医学の進歩にともない新たな生命倫理の問題が出てまいりました。ともすれば進みすぎた医療に過剰に期待したり、逆に押しつぶされるのではないかという不安をお持ちの方もいられると思います。

誰でも一度は「患者」という身分を味わいます。21世紀の医療は医療側の医療から生活者主体の参加型医療へと変わって行くのではないでしょうか。それが健全な高齢化社会を形成していくと信じております。すなわち医師に全面に頼るのではなくて、自分の身体で守れることは守っていく自立の姿勢が必要とされます。
これまで生活者側からの誓いは作られておりませんでした。そこで、この機会にヒポクラテスの誓いにプラスして新たなバージョンを試みてみました。それが21世紀の誓いです。

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【ヒポクラテスの誓い・21世紀バージョン】

21世紀に共に生きる世界の人々に誓います。

  • 私は自分の身体を大切にし、長生きするようにします。
  • 私は自分の身体の仕組みについて知るように努めます。
  • 食品についてはその内容を知り、自分にあっているかを吟味します。
  • 適切な運動を行い、生活習慣病にならないようにします。
  • 未病の状態でくい止め、病気にならないようにします。
  • 遺伝子診断、治療、臓器移植、再生医学などの医学の進歩を認める一方それが私達の利益となるように努めます。
  • 治療方法については医師に説明を求め、納得してから受けるようにします。
  • 癌の告知を受けたなら、慌てず最善の方法を医師と相談し病気に立ち向かいます。
  • 私の身体を護るだけでなく、他人の身体に害をもたらさないように行動します。
  • 私の住む地球環境を守り、子孫に安心、安全を受け渡すようにします。
  • 私の死については医師に最善を尽くしてもらいますが、最後は自分で決定します。
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21世紀はセルフプリベンション(自己予防)の時代

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