「杜仲茶」と「おもいッきりテレビ」と「美容・ダイエット茶5年周期説」

それまで全く動く気配もなかった杜仲茶市場がダイナミックに躍動しはじめた。発端は、平成5年の9月13日放映の「おもいッきりテレビ」での紹介であった。地味な特徴のない健康茶が、一躍、「華」のある商品に生まれ変わった。当時、杜仲茶はいかにしてブームになったのか。

「Health Net Media/ヘルスネットメディア」代表:浜野夏企

食品業界の誰もが、明日「おもいッきり」で何が報道されるか知りたがった

平成5年(1993年)、杜仲茶を取り巻く環境は、一夜で一変するというほどのものだった。それまで、問屋の倉庫でひっそりと出荷を待っていたとりわけ特徴もない健康茶が、突然引く手あまたの大ヒット商品となった。そのきっかけは「おもいッきりテレビ」での紹介だった。

「大変なことになっていますよ」。当時、「おもいッきりテレビ」のチーフプロデューサーだった上島氏に僕は電話した。忘れもしない。平成5年9月13日のことだ。その日、「おもいッきりテレビ」が杜仲茶を取り上げ、デパートの売り場には杜仲茶を求める客が殺到した。まさかそれほどの反響があるとは思わなかったのであろう。電話からの上島氏の声は半信半疑といったふうだった。

その8ケ月ほど前、僕は、市ヶ谷の麹町にある日本TV本社で、当時僕が編集長を務めていた「健康産業新聞」の取材で上島氏と会い、健康食品業界の現状など話した。

「おもいッきりテレビ」はみのもんた氏の司会で、1987年から2007年まで日テレ系で放映された。裏番組の「タモリの笑っていいとも!」と視聴率を取り合う人気番組で、当時、「おもいッきり」は健康に関わる情報をほぼ毎日のように取り上げ、健食業界のみならず一般の食品業界の売上げに大きな影響を与えていた。

「おもいッきり」で、「いわしにDHAが含まれている」と紹介すればスーパーからいわしの缶詰めが消え、たまねぎが糖尿病に効くといえば、八百屋からたまねぎが突然なくなるといったふうで、ココアやワインなど、「おもいッきり」が取り上げ、ブームになった商品は数知れなかった。

特定の栄養成分を取り上げ、それをリテラシー(解読)に欠けた人々へ押しつける、いわゆる「フードファディズム」などと批判を受けたこともあるが、「おもいッきり」はまさに社会現象であった。

杜仲茶の放映で13%の視聴率

当時、食品の流通業者が最も知りたかったのは、他でもない、明日「おもいッきり」でどんな健康情報が報道されるかということであった。事前にそれが分かれば、確実に売上が見込める。

ただそうはいっても、そうした情報が放送前に流れることはそうはない。局側は、朝刊の番組覧ですら、発行の数時間前に入るという念の入れようで、逆に、番組で取り上げる内容が流通業者に漏れていることが分かると、企画変更ということもあったらしい。

「おもいッきり」は最初から毎日のように健康情報を取り上げていたわけではない。昼の時間帯というと視聴者のほとんどが女性だったが、健康関連の情報を流すと男性の視聴が増え、視聴率がどんどん高まっていったという。つまり高齢化社会という背景が「おもいッきり」を押し上げていったのである。

当時、中島氏から聞いた話だと、番組で取り上げるのは、特別な物ではなく、「冷蔵庫を開ければあるような日常的な素材を使った物の意外な健康法」というものだった。それまで放映した中で、最も視聴率が高かったのが「長ねぎ健康法」で、17.8%までいった。ちなみに、杜仲茶を放映した際は、13%まで上がった。

ただ、毎日のように健康情報を流していると次第にマンネリになってくる。僕は、上島氏に美容やダイエットの観点から杜仲茶についての情報を提供をした。僕氏自身、杜仲茶の情報を得たのは、その半年前のことであった。

高齢者向けのお茶から「痩せるお茶」へと転身

杜仲茶はミネラルなど滋養分の豊富なお茶として、80年代より長野県を中心に福島、岩手などで地場産業的に扱われていた。当時、日立造船バイオ事業部(2002年に杜仲茶部門は小林製薬に譲渡)などが商品化し、百貨店などで販売していた。女性誌や健康雑誌も「痩せるお茶」として取り上げ、徐々に認知も高まりつつあった。

杜仲茶には紆余曲折があった。日立造船バイオ事業部では平成元年に杜仲茶をテレビCMで流している。しかし、それで特に評判になったという訳ではなかった。もともと日立の杜仲茶への取り組みは、昭和60年以降造船不況から、将来性のある事業への新規参入ということで杜仲茶事業部を設立、高齢化社会の到来を視野にいれたものであった。

そのためか、カラフルなパッケージデザインの割には、高齢者対応の滋養分に優れた健康茶というイメージが先行し、とくに際立った売れ行きはみられなかった。

杜仲茶、中国ではお茶として飲まれる習慣はなかった

もともと、杜仲は樹皮が漢方薬の原料として用いられていた。長野県で栽培されていた杜仲木は、長野の地場産業であった絹の生産が合成繊維の登場で斜陽化し、桑の木を伐採したため、その代わりとして中国から植林されたものであった。

成長した杜仲の樹皮は漢方薬の原料として出荷されたが、それが後に、樹皮に滋養分があれば葉の成分も有用ではないかと当時の富山医科薬科大の難波教授らがラット試験を行い利尿作用の促進などを確認した。そうした杜仲葉の効果が次第に明らかになり、葉を煎じてお茶にするという杜仲茶が誕生した。

しかしその後、杜仲茶は10年以上におよぶ雌伏の期間を過ごす。中国でもお茶として飲まれる習慣はなく、樹皮に含まれる成分が漢方薬として認められているにすぎなかった。葉をお茶にして飲むというのは日本人の独自の発想だった。

後に杜仲茶の大ブームが到来し商社が杜仲茶を中国に買い付けに行った際、なぜ杜仲の葉が日本でそれほどもてはやされるのか現地の中国人が不思議がったという話もある。余談だが、ブームになると中国からの杜仲葉も粗悪なものが増え、落ち葉まで混ざるようになっていたという話を業者から聞いたこともある。

うなぎの身が締まってスリムになった

日立造船バイオ事業部が杜仲茶に取りかかったのは昭和62年頃といわれる。まさか高齢化対応のお茶が数年後に「美容・ダイエット」茶として日本中を席巻することなど予測もつかなかったであろうが、まずもって、日立には「美容・ダイエット」など眼中になかった。当時から「カルシウム、亜鉛など植物性微量元素を豊富に含む滋養分に富んだ」お茶としての販売姿勢を貫いていた。

しかし、世の中には、「滋養に優れた」お茶は何百とある。なぜ、杜仲茶でなければならないのか。どうしても杜仲茶を、と消費者が選ぶ動機。そうした訴求力が当時の杜仲茶には欠けていた。

そこに、当時の日大薬学部の高橋教授によるうなぎによる実験で痩身作用が確認されたとの情報である。うなぎの養殖の際に餌の中に杜仲の葉を粉にしたものを混ぜると、うなぎの身が締まってスリムになったという。ここにおいて、杜仲茶が「美容・ダイエット茶」として大化けする可能性が出てきた。

そして、平成5年の「おもいッきり」での紹介。ここで杜仲茶市場は一変した。地味な特徴のない健康茶が、一躍、「華」のある商品へと変貌を遂げた。

その後、杜仲茶市場には日本コカコーラ、サッポロ、伊藤園など大手飲料メーカーが雪崩れ打つように参入し、当時末端で300億、400億円市場ともいわれるほどになった。大手一般飲料メーカーが健康志向飲料に傾倒し始めたのもこの頃からである。

美容・ダイエット茶5年周期説

杜仲茶市場の急伸は杜仲茶が「滋養豊富」なお茶としてが世に知られたからではなく、「美容・ダイエット」茶としてマスコミであまねく喧伝されたからである。

とはいえ、どんなお茶でも、「美容・ダイエット」という粉を振りかければ売れるようになるかといえば、そういうわけでもない。根拠のないものを無理やり粉飾しても、実態のないものはいずれ消費者にも見抜かれてしまう。

「美容・ダイエット茶」の走りというと、烏龍茶ではなかったかと思うが、その後のハトムギ茶やどくだみ茶人気など、「美容・ダイエット茶」ブームには5年周期説というものがあるようだ。

今、さまざまな「美容・ダイエット茶」が登場している。美容・ダイエットもさることながら、これから求められるのは排泄、デトックス効果ということであろうか。