目の悩みに、機能性食品「ブルーベリー」誕生秘話(2)

平成3年7月から平成8年12月までの5年半、健康産業新聞社(現、UBMメディア梶jに在籍し、4年ほど「健康産業新聞」の編集長として職務をはたした。その間、さまざまな健康食品を世に送り出した。目の機能に関与するブルーベリー、本格的な市場が形成されて20年近くになる。現在参入企業も増え、安定した市場を確立している。ブルーベリーの市場創成期を少し振り返ってみる。

「Health Net Media/ヘルスネットメディア」代表:浜野夏企

バカヤロー、「必要」としている人達がいるから出すんだ

僕は30代前半に文学を志し、その後、健康産業新聞社に入社するが、その頃から視界を小さな糸クズのようなものがちらつくのを感じるようになった。とくに晴れた日はそれが酷かった。「飛蚊症」、眼科医からそう告げられた。思い当たることはあった。大学時代にハードコンタクトで角膜を傷つけ、当時、失明の恐怖に怯えて過ごしていた。

業界紙の業務は激務だった。目のことが常に気になった。入社1年半後、編集長の任が僕に回ってきた。責任感の強い僕は断ることができなかった。それから4年。「飛蚊症」のことは社内の人間にも隠し通した。新聞社の、しかも編集長ともなると、人一倍目を酷使する。ワープロを打っていても、文字校正をしていても常に目の前をゴミのようなものがちらつく。うっとうしい。イライラする。業務のストレスよりも、そうした疾患からくるストレスのほうが大きかった。

そうした中でのブルーベリーの特集だった。欧米では眼科領域の機能性素材として評価が高く、とくに明暗順応に優れ、即効性が体感できるという。常に目を酷使している人達には朗報である。本当に役立つものであるならば、どんなことをしても、世に出す必要がある。

業界のライバル紙の編集長には、「目の商品なんて日本で売れたためしがない」とあざ笑われた。バカヤロー、「必要」としている人達がいるから出すんだ。僕は心の中でそう反撃していた。売れなければ、企業にとっては死活問題だ。しかし、「必要」な物だから、目のことで悩んでいる人達、困っている人達のためにもどうか出して欲しい。声にならない声で僕は企業に製品化をお願いした。

世の中には売らんがための健康食品が氾濫している。ブームになると、すぐに安直な粗悪品が出回るようになる。値引きを想定されて作られた(全てがそうというわけではないが)ような、有効成分がほとんど含まれていない商品も出てくる。結局、”健康食品は効かない”という有難いお墨付きを消費者からいただくことになり、いつしか「健康食品というのはまゆつば」といった社会通念が醸成されるようになる。

健食業界はいつまで経ってもそうした悪循環から抜け出せない。これまでのそうした愚を犯さず、困っている人々のために、本物の商品を世に出して欲しい。ブルーベリーの開発企業に、僕はそれを強く願った。

遂に、「おもいッきりテレビ」でブルーベリーを紹介

ブルーベリーを業界に仕掛けた翌年の平成7年、春頃だったと思う。「おもいッきりテレビ」が遂に、ブルーベリーを取り上げた。同時にウコンと松の葉も取り上げたためかブルーベリーの印象はあまり強くなかったようだ。その後、それと連動するかのようにブルーベリーを扱う企業数社が他のTV局でブルーベリーの企画ものを組んだ。さらに、ブルーベリーのムック本を製作したりとアピールに努めた。健康雑誌の『さわやか元気』でもブルーベリーの特集を組んだ。

ようやく、ブルーベリー市場が軌道に乗り、徐々に大ブレイクの感があった。しかし、まだ売れているという確かな実感はなかった。その年の9月、「おもいッきり」が再びブルーベリーを取り上げた。さらにその翌年の平成8年にも、「おもいッきり」がスペシャル番組でブルーベリーを紹介した。この頃からブルーベリーの視覚機能への作用が一気に広まり始めた。

平成8年に入って、ブルーベリーのマーケットは末端で15億円ほどと予測された。本格市場はこれからだと思った。事実、売り場では多くのファンがつき始めていた。売り場といっても、この頃はドラッグより、デパートの健食売り場が中心だった。ある売り場では18個まとめ買いした客もいたという。

ブルーベリーで、デパートの健食売り場が活性化

デパートの健食売り場は久々のヒット商品に湧いていた。ブルーベリーが低迷していた健食売り場を活性化していた。デパートの健食売り場は周囲のドラッグストアーの安売りで長らく苦戦を強いられていた。

そこにブルーベリー登場である。ブルーベリーは、他の健康食品と違い、ドラッグに流れることはなかった。仮に流れることはあっても、店頭での客寄せ商品になることはなかった。ドラッグには目薬がある。目薬は確実な売上げが見込めるドル箱だ。”目にいい”とされるブルーベリーが目立っては困る。

これに気をよくした三越、高島屋などのデパートにテナントを持つ、当時健食流通問屋大手の森谷健康食品の売り場ではブルーベリーの販売に力をいれた。ドラッグに置いてない。定価販売でも売れる。体感商品でリピーターも見込める。売り場で育てるには格好の商材だった。

売り場の販売員は50、60代のベテランと若い女性といった組み合わせが多い。健康食品を買い求める客層というのは40代以降の女性たちが多く、若い女性販売員たちはそうした客との対応に不慣れのようだったが、ブルーベリーの販売に関しては彼女たちも熱が入ったようだ。

屈辱を晴らし、僕は「健康産業新聞」を離れた

ブルーベリーは迷走の助走から抜け出し、ようやく本格的な市場形成へと向かい始めた。そんな実感があった。その年の12月、僕は健康産業新聞社を離れた。今後、情報産業の大きな担い手になるであろう、インターネットでの健康情報の発信の準備に一刻も早く取りかかりたかった。ブルーベリーに関わった当初、「目の商品なんて売れたためしがない」と揶揄され、それが悔しくて、徹底的にブルーベリーの市場形成に取り組んだ。2年後、結果が出た。屈辱は十分晴らした。

ブルーベリーに関わった2年間、僕はブルーベリーをずっと飲んでいた。もちろん今も飲み続けている。「飛蚊症」の症状が出始めてから20年以上経つ。当初、よく晴れた日に空を見上げるのが嫌だった。目の前をうろつく小さなゴミで、いつか視界が遮られてしまうのだろうか、そうなると本も読めない、執筆もできない、そんな恐怖心によくかられたものだ。

今、僕はその頃のことを思い出しながらこのコラムを書いている。実のところ、今僕は健康産業新聞社にいた頃の何十倍も目を酷使している。にもかかわらず、「飛蚊症」を意識することが日々の生活の中でほとんどない。もちろん、ブルーベリー以外にも、目のツボを刺激したり、マッサージで血流を良くしたり、食生活を改善したりと目に良いと思われることをいろいろやっている。そうしたことも奏功しているのかも知れない。(日本には薬事法という法律があって、健康食品についてはこれが効いたとは書けない。まったく「飛蚊症」のようにうっとうしい法律である)。

現在、ブルーベリーは不況の中でも高いニーズで売れ続ける根強い商品へと育っている。ブルーベリーを主体に、ルテインやクロセチン、コンドロイチン、グレープシード、DHA、各種ビタミンなど栄養成分を配合し、視覚機能に特化した商品がどんどん登場している。

今問題になっているのが、パソコンのブルーライトで活性酸素が発生することによる視力障害である。LED対策のメガネも登場しているが、今後ブルーベリーは高齢者層ばかりか、若年層にも求められる商品として市場はさらに広がりをみせることであろう。

「必要」な物だから、誰になんといわれようとブルーベリーを世に送り出すため、僕はなりふりかまわず動いた。目のことで悩んでいる人達にいくらかでもお役に立てたかも知れないと思っている。

今、僕がたった一つだけ願うこと。それは、利に走った企業の粗悪品が出回り、ブルーベリーの評価が下がることのないように、ということである。